ジェリノーの報告
金縛りとして知られる睡眠麻痺については、Lesson 7-2でご紹介しました。レム睡眠の最中に、脳幹が意識だけを覚醒させてしまうという障害です。じつは、睡眠麻痺は、ナルコレプシーという睡眠障害の症状のひとつでもあります。
ナルコレプシーは、しびれや昏迷という意味の「ナルケ(narke)」と、発作という意味の「レプシス(lepsis)」という、2つのギリシャ語の合成語(narcolepsy)です。1880年に、フランスの医師ジャン=バティスト=エドゥアール・ジェリノーによって初めて学会に報告されました。名前もその際、ジェリノーによって付けられたものですが、このような症状自体は古くから観察されていたと考えられています。
ナルコレプシーには、いくつかの症状があります。順番に詳しく見ていきましょう。
睡眠発作
ナルコレプシーの主な症状は、睡眠発作と呼ばれる症状です。睡眠発作は、睡眠中ではなく日中に現れます。ナルコレプシーの患者は睡眠発作が現れると、耐えられないほど強烈な眠気に襲われ、そのときどんな状況にあったとしても、眠り込んでしまいます。たとえば、前日にじゅうぶん睡眠をとれていなかったり、疲れが溜まっているときに眠気に襲われることは、誰にでもあることです。しかし、睡眠発作は、睡眠や疲労の量とは関係なく起こり、しかもその眠気の強さは実際に症状に苦しんでいる人でないと、想像できないほど強烈なものです。
睡眠発作が起こると耐えることは困難で、やはり健康な人からは想像できないような状況でも、気絶するように眠り込んでしまいます。たとえば、重要な会議や試験の最中、さらには就職面接の最中であったり、電車がホームに到着して今まさに乗り込もうとしている瞬間など、人生の岐路に当たる場面であったり、危険な状態に陥ってしまうような場面にもかかわらず、そのような理性的な判断をする余裕も持てません。筋肉から力が抜け、口を開いて上体から崩れ落ちるように倒れ込んでしまうこともあります。
このような発作は1日のうちに何度も訪れます。いったん眠りに落ちると、2〜3時間でまた元の状態に戻り、また前兆もなく次の眠気が襲ってくるのです。
情動脱力発作(カタプレキシー)
もう一つ、ナルコレプシーに特徴的なのが、情動脱力発作といって、突然、全身の筋肉から力が抜けてしまうという症状です。睡眠発作と同じように、立っていられなくなったり、膝の力が抜けて倒れ、怪我をしてしまうこともあります。稀に、呂律が回らなくなるという症状も報告されています。
この発作は、「情動」、つまり感情が昂ったり刺激されたりしたときに起こります。笑ったときや強い喜びを感じたとき、驚いたとき、自尊心をくすぐるようなことを言われたときなど、ポジティブな感情の動きに伴って起こることが多く、怒りなどのネガティブな感情を伴うことはあまりありません。
情動脱力発作は、必ずしもナルコレプシー患者のすべてにみられるわけではありませんが、80パーセント以上の患者がこの症状を伴います。ナルコレプシーが疾患として報告されてからしばらくのあいだは、睡眠発作と情動脱力発作はほぼ同様の症状として、一括りに考えられていました。しかしその後、研究が進むにしたがって、この2つは別々の症状であることが明らかになってきました。そのため、1916年になって情動脱力発作はカタプレキシーと名付けられ、睡眠発作と区別化されるようになりました。
入眠時幻覚
ナルコレプシーには、眠りに就くときに現れる、入眠時幻覚と睡眠麻痺と呼ばれる2つの症状もあります。睡眠麻痺についてはすでにお話ししましたので、ここでは入眠時幻覚について見ていきましょう。
これは寝入りばなに幻覚を見るという症状ですが、幻覚が非常に鮮明で現実感を伴っていることが知られています。これは、ナルコレプシーの患者にはノンレム睡眠が現れず、眠りに就くとすぐにレム睡眠に入ってしまうことと関係があります。脳は、覚醒からレム睡眠に瞬時に移行できるわけではありません。脳内には覚醒時に分泌された神経伝達物質がまだ残っており、また前頭葉などの機能もすぐには低下しません。そのため、ほとんど覚醒したまま夢を見ているような状態になり、入眠時幻覚が現れるのです。
睡眠麻痺も、入眠時幻覚と同時に現れることが多くあります。
オレキシンの欠乏
ナルコレプシーが発症する原因は、オレキシンの欠乏です。オレキシンは、睡眠と覚醒の制御に関わっている他、食欲の制御にも関わっていることが知られており、オレキシンという名前は、食欲を意味するギリシャ語「orexis」に由来します。
オレキシンは神経伝達物質の一種で、視床下部外側野から分泌されます。なんらかの感染症などによって過剰な免疫反応が引き起こされると、ここにある神経細胞がダメージを受けてしまい、オレキシンの分泌が出来なくなってしまうと考えられています。
10代に多いナルコレプシー
ナルコレプシーの発症は若い人達に多く、10代半ばで発症率がピークに達します。このことは、ナルコレプシーの受診率の低さにもつながっています。もっとも発症率の高い14〜16歳の時期には、試験勉強や受験勉強のために、夜更かしがちな生活をおくることが多くなります。このような生活をしていると、日中、学校で眠気に襲われても、別段おかしいと思うことなく過ごしてしまい、それが普通の状態だと思うようになってしまいます。そのため、患者本人ですら症状に気づけないことも多くあります。ナルコレプシーを発症してから医師に受診するまでに、平均で10年前後かかっているという調査結果もあるほどです。
当然ながら、ナルコレプシーを放置しておくと、生活に様々な支障をきたします。集中力が落ちて日常的なミスが増えるほか、大事な場面で眠ってしまうことは人生すらも左右しかねません。繰り返しになりますが、試験や受験の際に症状が現れてしまうこともじゅうぶん考えられます。
周囲の理解を得にくい病気
そして、ナルコレプシーの患者にとって、症状と同等かあるいはそれ以上に苦しいのが、その特異な症状ゆえに周囲からの理解が得られにくいことです。このことは患者に大きな精神的苦痛をもたらし、うつ病などの精神疾患や、ストレスから糖尿病を併発してしまう頻度が高いことも知られています。また、病気の知名度が低いうえに、日本では専門医もまだまだ少ないため、適切な治療が受けにくいことも指摘されています。
しかし、日本でのナルコレプシーの有病率は、世界的な平均のおよそ4倍です。世界では2000人に1人程度の有病率ですが、日本では600人に1人と、その有病率が大幅に高くなります。日本は、ナルコレプシーの研究では世界をリードしており、病気への理解や早期受診が進むことが急務とされています。
Lesson 7-5 まとめ
- ナルコレプシー…しびれや昏迷という意味の「ナルケ(narke)」と、発作という意味の「レプシス(lepsis)」の合成語。いくつかの症状を伴う。
- 睡眠発作…日中、耐えられないほど強烈な眠気に襲われ、そのときどんな状況にあったとしても気絶するように眠り込んでしまう。症状は日中繰り返し現れる。
- 情動脱力発作(カタプレキシー)…感情が昂ったり刺激されたりすると、全身の筋肉から力が抜けてしまい、立っていられなくなったり、膝の力が抜けて倒れ、怪我をしてしまうこともある。
- 入眠時幻覚…寝入りばなに非常に鮮明で現実感を伴っている幻覚を見る。ノンレム睡眠を経ずにレム睡眠に入ってしまうことが原因。
- ナルコレプシーはオレキシンの欠乏で発症する。
- ナルコレプシーの発症は若年層に多く、10代半ばで発症率がピークに達する。
- 日本でのナルコレプシーの有病率は、世界的な平均のおよそ4倍。
- その特異な症状ゆえに周囲からの理解が得られにくいため、患者に精神的苦痛をもたらしてしまうことが多い。