Lesson 5-4 手続き記憶と睡眠

前回の記憶

今回は非宣言的記憶についてのお話がメインになるため、もう一度、前回学んだことをおさらいしてみましょう。

非宣言的記憶…言葉として表現することの出来ない、身体が覚えている技能や感情のこと。

  • 手続き記憶 … 言葉で表現することの出来ない、運動能力や技能にまつわる記憶。楽器の演奏、スポーツの技術、日常の動作など。
  • 情動記憶 … 恐怖、不安などの感情にまつわる記憶。論理的なものではなく、より本能的なもの。

楽器の演奏やスポーツ、車の運転などの日常動作に至るまで、繰り返し行なうことで習得した身体的な技術(手続き記憶)が、睡眠をとることでさらに向上することを、多くの実験によって確かめられてきました。ハーバード大学の研究チームによる研究結果をもう一度ここで引用すると、「新しい身体的技能を習得するためには、練習をしたその日に6時間から8時間程度の睡眠をとることが欠かせない」ということが明らかになったのです。では、睡眠と習得技能の向上のあいだには、どのような関係があるのでしょうか。

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レム睡眠中になにかが起こっている?

やはり前回お話ししたクインティリアヌスのように、睡眠が記憶を強化し定着させること自体は古くから知られていたので、習得技能の向上と睡眠に関する研究も,比較的古くから行なわれてきました。

イスラエルのある研究チームは、習得技能の向上に関するメカニズムはレム睡眠中に働いていると考えました。そこで、被験者の脳波を測定しながら、レム睡眠が現れると睡眠を中断させ、一晩中ノンレム睡眠だけをとらせたグループと、反対にノンレム睡眠時に覚醒させてレム睡眠だけをとらせたグループのふたつに分けて実験を行ないました。その結果、ノンレム睡眠だけをとったグループには習得技能の向上は起こらず、反対にレム睡眠だけをとったグループには習得技能の向上が著しかったことが報告されました。

イスラエルの研究チームの研究結果は、多くの示唆を含むものでしたが、しかし批判も多くありました。強制的に作り出した条件下での実験結果が、どこまでの一般性を担保できるのかという意見。そしてなにより、そのように被験者に強いストレスを与える実験の方法自体の是非について、批判がなされました。そのため、より被験者に与えるストレスが少なく、自然な睡眠に近い条件の下での実験が模索されました。

レム睡眠ではなくノンレム睡眠?

そんななかで、ドイツのリューベック大学の研究チームは、睡眠のリズムに注目しました。ここで、Lesson 2-1で学んだ睡眠周期を思い出して下さい。自然な睡眠では、その前半に深いノンレム睡眠が多く現れ、後半から覚醒に向かうに従ってレム睡眠が多く現れるようになります。リューベック大学の研究チームは、この性質を実験に利用したのです。ある技能の練習を充分にしてもらった被験者たちを、ふたつのグループに分け、一方にはレム睡眠をより多く含む睡眠を、もう一方のグループにはノンレム睡眠をより多く含む睡眠をとらせました。イスラエルの研究チームの実験を、より自然な状態に近づけたものと言えます。

そして、この実験の結果は、イスラエルの研究チームが導き出した結果とは反対のものでした。ノンレム睡眠を多く含む睡眠をとったグループのほうに、習得技能の向上が多く見られたのです。

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真相は夢のなか

近年、特に21世紀に入ってからの研究では、ノンレム睡眠と習得技能の向上を示唆する報告が多くなっています。アメリカのウィスコンシン大学精神科の研究チームは、深いノンレム睡眠中には神経細胞のネットワークの整理が行なわれており、その結果としてこのような習得技能の向上が起こるという仮説を立てて注目されています。しかし、睡眠を自然な状態のままに観察する実験には限界もあり、手続き記憶を睡眠が強化するメカニズムについての決定的な説明は、いまだに為されていません。手続き記憶には、やはりレム睡眠が深く関係していると考える研究者も数多くいます。今後の研究の進展に注目しましょう。

Lesson 5-4 まとめ

  • イスラエルの研究チームによる実験では、レム睡眠だけをとったグループに習得技能の向上が著しかった。
  • リューベック大学の研究チームによる実験では、ノンレム睡眠を多く含む睡眠をとったグループのほうに、習得技能の向上が多く見られた。
  • 手続き記憶を睡眠が強化するメカニズムについては、いまだに不明な点が多い。