それでも人は夢を見る
古くからある夢占いや、フロイトの夢判断、さらには最近でもたびたび取り上げられることのある、夢が持つ予言性や不思議な超能力。それらのほとんどは、客観的に確かめることが出来る証拠を持っていません。もともと夢は、脳内の活動であり外部からの観測が不可能なため、どのような実験を行なうにしても、その内容については被験者の記憶と報告に頼らなければならない点が、実験の再現性と客観性を重んじる科学にとっては最大の障害になります。
とはいえ、人が夢を見ることに変わりはなく、それに関心を持つ研究者が後を絶たないことも事実です。特に、近年になってレム睡眠と夢の関係が明らかになってきてからは、これまでのアプローチにとらわれずに、夢の役割を解明しようと試みる研究者も増えてきました。
ヒトは一晩にいくつ夢を見るか
世界中の多くの研究者が、今夜も夢を採集しています。そして、今までに集められた夢の標本からは、興味深い事実がいくつも報告されています。
まず、人は一晩のうちに何回夢を見ているかという問題です。かつてフロイトは、「一晩のうちに見た夢は、断片的なものもひっくるめて一つの夢として分析するのが望ましい」と、著書『夢判断』に書き記しました。しかし、近年の研究では、断片は断片として別個にカウントするのが望ましいとされています。そのように夢を数えてみると、人は誰でも一晩のうちにおおよそ5つ〜6つの夢を見ていることが明らかになりました。
人は、目を覚ますと瞬時にほとんどの夢の内容を忘れ去ってしまうため、実際に本人が覚えているのは目を覚ます直前に見ていた夢だけ、ということが多いようですが、直前に見ていた夢であれば、ある程度細部まで詳しく報告することが出来るということも報告されています。
5分間の睡眠=5分間の夢
そして、夢はリアルタイムな現象であるという報告もあります。たとえば、被験者がレム睡眠に入ってから5分後に起こして、夢の報告を頼んだ場合、語られた夢の内容はほぼ5分程度に相当する、という研究結果があるのです。
これについては異論を唱える研究者もいました。たとえば、眠っている最中にベッドから落ちた場合を考えてみましょう。身体がベッドから床に落ちるまでの時間は、長くてもほんの数秒です。しかし、その直前に落下感を伴う夢を数分間に渡って見ていた、という報告もあり、このようなケースを見れば、夢の中と現実の時間は、必ずしもそのまま対応するものではない、という主張です。ただし、このような説も今では少数派となっているようです。
ダンホフの夢コレクション
一晩に見る夢の数や、夢の中の時間進行について、数々の研究成果が報告されると、睡眠学者たちの興味は当然、夢の内容に向けられていきます。
夢の内容について、特にユニークな業績を残しているのが、ウィリアム・ダンホフです。彼はカリフォルニア大学に勤務する睡眠学者でありながら、同時に経済分野でベストセラーを出した風変わりな人物でもあります。
ダンホフは何年にも渡って、夢に関する記録や文献を数千単位で収集し、分析を始めました。彼の分析方法がユニークなのは、夢を分析するに当って、登場人物、場面設定、ストーリーなどを、項目別に分類、集計し、統計を取ろうと試みた点にあります。
じつは凡庸な夢
それでは、ダンホフの研究結果の一部を見ていきましょう。まず彼は、夢はたいていの場合、一人称視点だということを発見します。夢を見ている人は、自分の視点で夢を体験します。神の目のような第三者的視点で夢の内容を眺めていることは、ほとんどありません。
次にダンホフが発見したのは、意外にも夢の内容の凡庸さでした。多くの人は、一晩でいくつも夢を見ているにも関わらず、強烈な印象を残す夢以外は、ほとんど忘れてしまいます。そのため、夢は異常なものであったり、強い恐怖を伴うものであったり、不条理なものだと思われてしまいがちです。しかし、ダンホフの統計は、夢の80パーセントは日常的で、なんの変哲もない内容だということを示しています。友達と話したり、犬を散歩させたり、洗濯物を干したり…。平凡な夢は、その平凡さのおかげで忘れ去られてしまいます。
また、この研究結果は、夢の多くは日常生活で体験したことと関連があるという「コミュニティ仮説」を裏付けるものでもありました。夢は如実に現実の影響を受けており、昼間の日常生活との距離は意外と近い、ということです。昼間のほとんどを職場で過ごすビジネスマンであれば、夢も職場を舞台としたものが多くなり、それは他の職種や場所であっても同じことです。
人々は夢の中でも、昼間と変わらない日常生活を、「表面上は」過ごしているのです。
世界有数の殺人発生率
昼間の職場と、夢の中の職場には大きな違いがあります。あなたが、昼間どんなに仕事に打ち込んで、充実した時間を過ごしていたとしても、夢の職場には憂鬱さや不安を伴って出勤していることがほとんどです。ダンホフの研究結果によれば、夢は舞台装置こそ平凡なものを用意しながら、そこに登場する「自分」には、80パーセントの確率でマイナス感情を強いるのです。
夢が、必ずと言っていいほど、恐怖や不安、憂鬱やストレスを伴うことに悩んでいる人も多いかもしれません。しかし夢の世界では、それが当たり前の状態であると言うことも出来ます。
ダンホフは、夢のなかで殺人が起こる頻度に関する統計も作成しました。その結果、夢の世界は、世界中から選りすぐった治安の悪い都市と比べても、圧倒的に殺人の発生率が高いことが分かりました。たとえあなたが夢のなかで誰かを殺してしまっても、珍しいことではないので気に病んだりする必要はありません。
なぜ夢のなかで人を殺すのか?
ではなぜ、夢は人にマイナス感情を強いるのでしょうか。日中、ストレスを感じがちな人は、普通の人に比べて、夢のなかでマイナス感情を抱える確率や、ストレスの強さは一層強くなります。日中、トラウマになるような体験をした人は、強い孤独や罪悪感を感じる夢を見る確率が急激に上昇します。
夢がこのようなかたちに「進化」したのであれば、その理由はなぜか? 夢になんらかの役割があるならば、このようにマイナス感情を伴うことにも理由があるはずではないのか? そのように考える研究者が増えていきました。
Lesson 6-6 まとめ
- 人は一晩のうちにおおよそ5つ〜6つの夢を見ている。直前に見ていた夢であれば、ある程度細部まで報告することが出来る。
- 夢はリアルタイムな現象である。
- ウィリアム・ダンホフ…夢を分析するに当って、登場人物、場面設定、ストーリーなどを項目別に分類。
- 夢はたいてい一人称視点をとり、80パーセントは日常的な内容。
- コミュニティ仮説…夢の多くは日常生活で体験したことと関連があるという仮説。
- 夢は80パーセントの確率でマイナス感情を伴う。